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人生朝露

人生朝露

マスター・ヨーダと老荘思想 その1。

今日はヨーダと老荘思想について差し替え版を。

マスター・ヨーダとルーク・スカイウォーカー。
言わずと知れた『スターウォーズ(Star Wars)』。1977年の映画公開から絶大な支持を受け続ける宇宙を舞台にした壮大な叙事詩であり、多国籍的というか、多文化主義的に描かれた作品群です。ユングやジョセフ・キャンベルの影響が強いジョージ・ルーカスの思想から見ても当然の帰結と言えますが、広い意味での東洋思想をベースにしています。

パドメ・アミダラ。 Om mani padme hum・?嘛?叭?吽。
たとえば、主要キャラの一人である「パドメ・アミダラ(Padme Amidala)」。彼女の場合、衣装も中国の少数民族のものや日本のものに近いですが、名前の「パドメ」は『西遊記』で、如来がお猿を五行山に封じ込めたタントラ(Om mani padme hum)の中にもある“Padme”です。意味は「白い蓮」、つまり“Padme Amidala”を漢字で書くと「阿弥陀 白蓮」となります。これは仏教ですね。

参照:Wikipedia Om mani padme hum
http://en.wikipedia.org/wiki/Om_mani_padme_hum

で、
Yoda。
「スター・ウォーズ・シリーズ」中核をなし、知勇兼備の最強のジェダイ、マスター・ヨーダは、容貌も含めて、多くの支持を集めるキャラクターであります。ヨーダ(Yoda)という名前の由来にしても、日本の依田義孝さん(Yoshitaka Yoda)であるという説が根強くありますし、日本の文化に相通じる部分もありますが、ヨーダの思想そのものは老荘思想です。

中島敦著『名人伝』より 甘蠅。 甘蠅と紀昌。
たとえば、日本人の著作でいうと、戦前に書かれた中島敦の『名人伝』に出てくる「甘蠅(かんよう)」という老人がヨーダのイメージに近いです。もともと『名人伝』自体が道教の説話と、『荘子』『列子』にある寓話を素にしています。人里離れた場所に棲み、常識が通用しない仙人・老隠者。

参照:不射之射
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9199061
≪「一通り出来るようじゃな」と老人が穏かな微笑を含んで言う。「だが、それは所詮射之射というもの。好漢、いまだ不射之射を知らぬと見える。」(『名人伝』より)≫

自分がヨーダと老子の一致点を最初に感じたのはこれです。
Yoda(896BBY~4ABY)。
Yoda“No! Try not! Do, or do not. There is no try.(やってみるではない!「やる」か「やらない」か、あるのはそれだけじゃ。)”
Yoda“You must unlearn what you have learned.(今まで学んできたことを棄ててしまえ)”

老子(Laozi)。
『為學日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。』(『老子道徳経(以下『老子』)』第四十八章)
→学を修めれば日々増えてゆくが、道を修めれば日々減ってゆく。減らし、さらに減らした後に、無為の境地へいたる。無為にして為さざるものはない。

Yoda(896BBY~4ABY)。
Yoda:"For my ally is the Force, and a powerful ally it is. Life creates it, makes it grow. Its energy surrounds us, and binds us. Luminous being are we, not this crude matter. You must feel the Force around you. Here, between you, me,the tree...the rock...everywhere.!!Yes...even between the land and the ship."
(私にはフォースという心強い味方がついておる。生命がそれを生み出し、育む。その偉大なる力は我々の周囲に満ち満ちて我々を結びつけておる。ワシらは光の存在なのじゃ、粗野な肉の塊の話ではないぞ。お主は、お主を取り巻くフォースを感じねばならぬ。ここにも、ワシとお主の間にも・・あの木々にも、岩にも・・そう、あらゆる場所にな!そして、この大地とあの戦闘機との間にも。)

参照:Star Wars V: The Empire Strikes Back - "For my ally is the Force "
http://www.youtube.com/watch?v=HMUKGTkiWik

老子(Laozi)。
『道生之、徳畜之、物形之、勢成之。是以萬物莫不尊道而貴徳。道之尊、徳之貴、夫莫之命常自然。故道生之、徳畜之、長之育之、亭之毒之、養之覆之。生而不有、為而不恃、長而不宰、是謂玄徳。』(『老子』第五十一章)
→道が之を生み、徳が之を蓄え、物が之を形作り、勢いが之を成す。これにより万物において、徳を貴び、道を尊ばないものはない。道の尊、徳の貴は命ぜられることなく常に自然なればこそである。ゆえに道が之を生み、徳が之を見守り、之を伸ばし、之を育て、之を成し、之を熟し、之を養い、之を覆う。生み出しながら我がものとせず、成しながら功を誇らず、長じていながら仕切ることがない。これを「玄徳」という。

氣・気とフォース(Force)。
老子の言っている「之」です。ヨーダの言うフォース(Force)というのは、日本語で言うと「気(き)」に近いものです。「氣」は現在、「Qi(チー)」と読みます。表現の仕方までヨーダのセリフは『老子』のまんまです。後にヨーダは『荘子』のいう「氣」も使いますが、今回は老子中心で。

そもそも、
老子(Laozi)。
『含徳之厚。比於赤子。 蜂蛇不螫。猛獣不據。攫鳥不搏。骨弱筋柔而握固。』(『老子』第五十六章)
→徳の備わった様子は、まさに赤子に例えられるだろう。赤ん坊ににはハチやマムシは襲ってこない。猛獣も襲っては来ない。骨は柔らかく、筋肉も弱いのに指を差し出せば、しっかりと握り返してくる。

『上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。不笑不足以為道。』(『老子』第四十一章)
→上等の士が道(Tao)を聞けば、勤めてこれを行う。中等の士が道(Tao)を聞けば、半信半疑のままである。下等の士が道(Tao)を聞けば、大いにこれを笑う。道を為すには笑われるくらいでなければ足りない。

『吾言甚易知、甚易行。天下莫能知、莫能行。言有宗、事有君。夫唯無知、是以不我知。知我者希、則我者貴。是以聖人被褐懷玉。』(第七十章)
→私の言は甚だ知りやすく、甚だ行い易い。けれども天下に知りうる者はなく、行いうる者もいない。(中略)。故に、聖人たる者は粗末な服で内に玉を抱える。

最初の登場シーンで、赤ん坊のような振る舞いをしたり、ルークに理解されずに馬鹿にされたり、粗末な服装で精神の大切さを説く姿勢など『帝国の逆襲(The Empire Strikes Back))』でのヨーダ像は、『老子』に非常に近い。

Yoda(896BBY~4ABY)。
Yoda:"Ohhh.Great warrior? Wars not make one great."(偉大な戦士じゃと?人は戦いで偉大にはならんよ。)
Yoda: Yes, run! Yes, a Jedi's strength flows from the Force. But beware of the dark side. Anger, fear, aggression; the dark side of the Force are they. Easily they flow, quick to join you in a fight. If once you start down the dark path, forever will it dominate your destiny, consume you it will, as it did Obi-Wan's apprentice. (よし、走れ走れ!ジェダイの強さはフォースを源泉とする。しかし、暗黒面に気を付けよ。怒り、恐れ、攻撃性、フォースの暗黒面はそこにある。容易にそこに付け込まれ、すぐさま取り込まれるぞ。囚われたらたら最後、お主の運命を支配し離さないだろう。オビ=ワンの弟子のようにな。)
Yoda: You will know... when you are calm, at peace, passive. A Jedi uses the Force for knowledge and defense, NEVER for attack. (いずれわかるようになる。お主が心の平和を得たときに。ジェダイの騎士はフォースを知識と防御にのみ使う。決して攻撃のためではない。)

老子(Laozi)。
『善為士者、不武。善戰者、不怒。善勝敵者、不與。善用人者、為之下。是謂不爭之徳、是謂用人之力、是謂配天古之極。』(『老子』第六十八章)
→優れた士は武力を用いない。戦上手は怒ることがない。善く敵に勝つ者は、相手に飲まれない。よく人を用いる者は、自らを下手に置くものだ。これを「不争の徳」といい、これを「人用の力」といい、これを「天に配される古の極み」という。

『夫兵者不祥之器、物或悪之、故有道者不処。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不之器、非君子之器。不得已而用之、恬淡爲上。勝而不美。而美之者、是楽殺人。夫楽殺人者、則不可以得志於天下矣。』(『老子』 第三一章)
→兵は不祥の器である。人は普通これを嫌い、道を心得た者はこれを用いない。君子は普段左を貴ぶが、事あるときは右を貴ぶものだ。兵は不吉な器であるので、君子ならば使うべきではない。やむを得ず使うことがあろうとも、執着なく使うことが望ましい。たとえ勝っても美徳とはならない。これを徳などとする者は、殺人を享楽とする外道であろう。人殺しを楽しみとするような者が、天下を望んだところで、到底成し得るはずがない。

「ジェダイの騎士」の理念も、老子の思想から導き出せます。

ちなみに、第六十九章は、『シスの復讐(Revenge of the Sith)』での、運命的な戦いの帰趨と一致します。

老子(Laozi)。
『禍莫大於輕敵、輕敵幾喪吾寶。故抗兵相加、哀者勝矣。』(『老子』 第六十九章)
→敵を軽んずる以上の禍はなく、敵を侮っていれば私のいう宝を失ってしまうだろう。故に互角の戦いであれば、哀れみの深い者が勝つ。

本年はこの辺で。


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